こんにちは。才能開発が得意な中崎です。
普段はnoteで『数秘術』並びに『ストレングスファインダー』を用いて、「完全オーダーメイドの個人鑑定」を執筆して来ましたが…
今後は更に内容を発展させて、「才能を活かす為の訓練所」として、当Blogでコンテンツを提供する事に決めました。
具体的な内容としては
①「個人の才能を活かす為の前知識」
②「才能を実践する為の、転職・副業提案」
③「チームを組む事を想定したシミュレーションゲーム」
以上の3点を主に執筆して共有します。
なお、知識自体は無償で提供しますが、肝心の『転職のノウハウ』に関しては、アフィリエイト先の転職サイトの方が余程確実で実践的な内容なので割愛します。
私が担当するのは「転職出来るとさえ思ってなかった一般の方」であり、もっと言うと「それだけ特殊な才能に満ちていて、どうして今まで一般人として生きやすくなれると思ったの!?」とツッコム勢いで『すぐにでも挑戦したくなる記事』を提供したい。
では、詳細をお伝えします。よろしくお願いします。
◾️①『逃れられない生き辛さ』で息を吹き返す。
実のところ、私は「既に活躍している人」にはそこまで執着する訳ではありません。
当然彼らの努力を認め、成果を認め、なんなら積極的にお力をお借りして私自身のレベルアップをさせて頂く所存ではありますが…
それでも、私が担当するのは「まだ才能を実感できていない人」であり、また或いは「望む未来に対して、現状ではまだ成長せざるを得ない者」に対してグッと来る。
それは具体的には『そうせざるを得ないモノ』と定義する。
いわば宿業。命に宿った、『逃れられない、業の深さ』を突き詰めて、ならばソレを“諦めて“、如何にして"ソレ“を有効活用するのかが腕の見せ所。
「どうしても逆らってしまう」のなら、「判定意見を求める賢者の隣」であればそれは“適役“として歓迎される。
「どうしても気になってしまう」のなら、「僅かな違和感も見落とせないデバック部門」であればそれは"天才"と称される。
「どう足掻いても長続きしない」のなら、「より多くの味見をした体験者」として"実体験"を次の挑戦者にシェアするのも良いでしょう。
『社会の役割』に必要なのは「絶対にそうしてしまう」という法則性。
お金を払う依頼者としては、実は「何が出来るか」以上に、「どれだけ窮地でも、期待した絶対性を保てるか」と言う"業の深さ"の方が信用出来ます。
「この性質のせいで、何をやっても毎度ダメになる」という嘆きは実は「全く自分の得にならなくても、結果自分がもっと不利になっても、いつでもどこでも"必ずや"その反応を100%返せる」という極まった信頼性です。
であれば、後は「それ位は出来て欲しい」と求める依頼者の近くに、「それ位は頼まれなくても出来てしまう」自分を横に置くだけです。
「需要」があるのに満たされていないお金持ち。
「供給」が出来るのに顧客と繋がっていない求職者。
両者のマッチングさえできれば、後はそれこそ「息をしているだけ」なのに食って行く事は簡単です。
日々のコラムとしては、こういった「才能の使い方」を中心に提供します。
乞うご期待。
◾️②『識る』だけでなく、『思い知る』。
実のところ、成果とは「それを提供出来ない人の数」だけ価値が上がります。
(厳密には"必要とする方の懐具合“が大切ですが、一旦忘れて下さい。)
例えば「一秒間は息を止める」だけではお金になりません。
それは80億人の大半が得に苦労なく出来る為、文字通りに「代わりが効く」ので「安く出来る人」に頼めば解決します。
しかしこれが「2分」「5分」「8分」と長く息を止めないと“話にならない"職業だとどうでしょう?
酸素ボンベさえあれば誰でも出来そうですが、だけどそれさえなかったら?
或いは、その酸素ボンベがあってさえ「いざという時に生存しやすい人」にお仕事を任せたいと思ったら?
そうなると此処では「無駄に息を長く止められる人」の価値が一気に高まります。
結局のところ、我ら人類は「他者との比較」でしか己の価値を計れません。
そしてそれは皮肉にも、「明らかに他人より優れている長所」であるほど、当人にとっては「息を吸う事と変わらない」という自己評価(馴染み具合)が実に厄介でして…
以前から才能開発を行ってきた私が痛感したのは、「当人が才能を自覚する為には、あまりにも多くの"格下"に愕然とするしかない」という真実でした。
よくもわるくも、人は「勝てる!」「イケる!」そして「戦える!」と希望を持った時に頑張れます。
よってこればかりは「知識」で才能を知るだけでは"意味"がない。
ならば、次にやるべきは"他者との比較"が起きる場所にその身を置くことで…
その為の最適な訓練所こそが「転職」「副業」といった"挑戦"にだと考えます。
平穏無事に生きたいのなら、もはや才能は要りません。
しかし私たちは、望むと望むまいに関わらず、今日も社会で"比較"されながら生きています。
そんな資本主義で"平穏"を求めるのなら、なおさら"ここなら勝てる!"と希望を持てる場所で輝くべし。
慢心の贅沢は"勝った後"に見直しましょう。
まずは「勝つ」。
大事な話は、その後です。
③但し、『1人』で戦う必要は全くない。
というかむしろ、どう足掻いてもお金は「顧客」がいなければ得られません。
どれだけ最強の投資家、政治家、経営者であったとて、肝心要の「自分以外の人」が居なければその実力はきっと普段の万分の一にさえ満たないでしょう。
一匹狼、孤軍奮闘、天涯孤独。
それらは(創作であれば)よく主人公が陥る場所ですが、一方で「そもそも他者と組んだ方がホモサピエンスは獣よりも強かった」のが我らのご先祖なのでして。
身もふたもない事ですが、「敵が居なければ活躍できない人」よりは「目の前の他人を、敵でなく味方につける人」の方が遥かに強力な軍隊を形成出来ます。
人類が他の獣より優れるのは、実は「器用さ」「持久力」「賢さ」以上に「互いの強みを、咄嗟にシェア出来る関係性」にあると私は思う。
既にロボットやAIの出現で、前出の"強さ"は大体が人工物に代替されてます。
この状況で我ら人類が活きるには、それこそ改めて「互いの強さを活かせる力」が必要ではないですか?
そして、それを試すには「もしも実際に事件が起きたら?」というごっこ遊びがオススメできます。
具体的には「TRPG」のような、紙とペンとサイコロしかなくても「コミュニケーション」だけで楽しめるコンテンツがちょうど良い。
自分本位に輝くも良し。
他者と協力して盛り上げ良し。
なんなら積極的に"求められている悪役"を自ら演じてゲームを更に発展させる…
なんて在り方もありでしょう。
「才能」を知り、「競争」へ飛び込み、けれどちゃんと「互いに手を組む」力も身につける。
此処迄できれば、きっとどこへ行ってもまるでゲームのように自分の人生を楽しめる。
私が見たいのはそういう世界で、企画に乗ったみんなが「あぁ、今回も地球でたくさん満喫したぞ!」と大満足してくれたらそれでよし。
ブログの方向性はこれでいこうかと。
まだまだ荒いですが、乞うご期待!